髙井法博の歩み

tit_h2N

tit_01N

12年間勤めた後藤孵卵場を退職した私が、高井法博会計事務所を開業したのは、昭和53年3月、31歳の時であった。
場所は、両親が住んでいた岐阜市三輪の浄音寺の隣接地。
まずは、生まれ育った先祖からの地を出発点にして、少しづつ岐阜市の中心部へ迫っていこう。それもそんな先のことではなく、近い将来必ず。そんな気概を胸に秘めて、私は第一歩を踏み出したのであった。

thumb3_01

tit_02N

記念すべき顧問先の第一号は、「あやめ寿司」というお寿司屋だった。県岐商の同級生がやっている寿司屋で、かねてから「開業したら帳簿頼むよ」という間柄の友人だった。
私は顧問先第一号のためにもっとできることはないかと考えた。自分が寿司屋の主だったらどうだろう。どんな、ことに関心があり、どんな悩みがあるだろう。そんな気持ちであたりを見回してみると、それまで気付かなかったものに関心がわいてきた。「お前、そこまでやってくれるのか」顧問料は月に数千円である。友人は足繁く通ってくる私に驚き、感謝してくれた。
そして、新しい顧問先を紹介してもらい、その顧問先が新たな顧問先を紹介してくれるという、うれしい循環ができた。 
 
こうした初期のお客様は、ほとんどが個人事業だったが、経営者が必死に頑張り、私も一体となってそのサポートをした。成長した企業はやがて法人成りをし、しっかりした会社になっていった。

tit_03N

高井法博会計事務所が目指したのは、帳簿の処理や申告手続きの代行、節税対策といった経理の後処理的な仕事だけではなかった。もちろんそれも大切な仕事の一つではあるが、本来の目標は別のところにあった。
開業に当たって私は、中小零細企業の経営に役立つために、次の3つを目標を決めた。 
 
1)ビジネスサポート業
2)情報発信基地
3)社外重役 
 
税務の立場から事業経営のアドバイザーとなり、経営のコンサルタントとして役立ちたいというのが念願だった。そして、現在に至る今でもその思いを持ち続けている。

thumb3_02

tit_04N

thumb3_03

昭和60年12月12日、岐阜市打越に待望の新社屋が完成し、竣工式を行なった。延べ面積660平方メートルの鉄骨2階建て。以前の岩崎事務所に比べると7倍の広さになった。
12年間のサラリーマン生活にピリオドを打ち、開業して8年目。ささやかながらも、ついに自社ビルを持つことができた喜びで、私も妻も職員たちも胸がいっぱいであった。
新事務所の竣工は一つの到達点ではあった。しかし、開業してわずか8年目の到達点は、もちろんゴールではなく、新たな目標に向かっての記念すべき出発点となったのである。

tit_05N

thumb3_04

62年に開催したセミナーで記念すべきものは、11月12日から週1回のスケジュールで2ヶ月にわたって計6回行った「第1回経営計画書実施作成セミナー」である。経営計画書の作成は、経営者にとって最も重要な仕事である、というのが私の一貫した考え方であった。サラリーマン時代の体験を基に、自分の会計事務所で実践した結果を生かして実践指導に徹した。高井法博会計事務所だけのオリジナルなセミナーであった。
平成元年には上期、中期、下期の3回にわたり開催し、基幹事業として定着した。開催場所も事務所の研修室を飛び出し、3年には愛知県伊良湖ガーデンホテルを使った4泊5日の宿泊研修となった。その後も下呂温泉の水明館、高山市の高山グリーンホテル、犬山市の名鉄犬山ホテルなどの一流ホテル•旅館で開催している。

tit_05N

thumb3_05

打越に事務所を新築してちょうど10年目の平成7年9月、事務所増築工事が完成した。3階には最大170名が入れる大ホールをつくり、講演会や多人数の研修会の開催が可能になったほか、図書資料室を拡充した。これらの施設の利用は顧問先にも開放し、事務所をヒューマン•ポート(人間波止場)にすることの目標は、ひとまず達成することができた。 
 
新しい施設を使ってセミナー、研修事業は一層活発になった。急速に進展するオフィスのOA化に対して、8年には「経営者のOAセミナー」や「コンピューター活用セミナー」を開催した。同じ年には、「建設業セミナー」などの業種別セミナーも開始している。そのほか、日本でもその道の第一人者である著名な外部講師にもお願いをしてセミナーを開催している。

tit_05N

高井会計事務所とTACTグループの30年は、借金の歴史でもあった。
その歴史は三輪に自宅兼事務所を建てた時から始まる。事務所を建てる4年前の当時27歳のときに、大垣共立銀行と住宅金融公庫から借りた370万円の大きな借金が開業の時からのしかかっていた。
やがて事務所経営は軌道に乗り始めるが、借入金は増えこそすれ、決して減ることはなかった。会計事務所が大きな借入金を抱えるケースは、一般的に珍しいかもしれない。定期的に決まった顧問料が期待できる会計事務所では、ほとんどその売上規模に見合った経営をしていくのが普通だからである。 
 
しかし、私は現状維持の経営に決して満足できなかった。三年先、5年先あるいは10年先の目標を明確に定め、そこに向かってあらゆる努力を尽くしてきた。常時、多額の借入金があることは、もちろん大きな重荷であった。高額の生命保険に加入して重ねたその借金の大きさは、寝ても覚めても頭から離れなかった。 
 
最も多い時の金額は、約6億3千万円であった。経営計画書には、この借金を平成15年までに全額返済すると明示していたが、目標の時期より2年早い平成13年9月、ついに6億3千万円の借金をすべて完済することができた。

tit_05N

高井会計が自社ビルを持ち、70名に近い職員を抱えるようになったのは、お客様の新しいニーズに対応するためでした。大型化は今後もさらに進むことでしょう。
しかし、規模の大型化は目標ではなく、新しいお客様の、そして時代のニーズに応えることによって生まれた結果に過ぎません。会計事務所の本当の発展は、お客様の発展に合わせた業務の多様化、高度化、専門化にあるのであって、大型化は経営の質的充実の副産物なのです。 
 
開業の時、私が掲げた3つの目標である「ビジネスサポート業」「情報発信基地」「社外重役」は、企業経営の上で揺るぎない真理として、わが経営に生かしていきたいと考えています。